両親が建て直した家がようやく完成し、今日(12/16)雨の中仮住まいの細かな荷物たちを新しい家へ運び込んだ。
明日暴風雪の予報の中、冷蔵庫や洗濯機といった大型のものたちを運び込む。
だからこのアパートで寝るのも今日が最後で、明日には新しい家で寝泊まりする。
居候同然の私も新しい家に住むけれど、今日自分の荷物を運びながら、この荷物のうちいくつのものを次に繋げたり一生使っていくんだろう…って思いながら眺めてた。
変なこだわりが自分の中にあって、新しい家の新しく使わせてもらう部屋に関しては、最初にその中に入れるのは一番自分にとって大切なものを運び込みたいという願いがあった。
だけど、じゃあ何を入れると一番しっくりくるのか?と言われると、現実的な動きを考えたらどれもぴんとこず、もうなるようにしかならないかなと思っていた。
現実的な動きというのは、天候の事情と荷物運びの順序に関しては私1人で勝手に決められるものではないから、だから最初に部屋に運び込まれるものは神のみぞ知るの域の話になった。
荷物を運び出す前に私は木のテーブルを今日のうちに移動させたいと父に言ったら、父はものすごく嫌な顔をしたし、普段文句など言わない父が珍しく超渋った。
あぁこれは今日は無理だなとすぐに思った。
父からしてみたらその木のテーブルは単なる家具で、しかも使うのは私だけで、運び込む順位からして一番低いと言っても良かった。
今日は運び込めないなぁとあきらめながら、とりあえず何を最初に入れるかはその時になったら考えようと考えを改めた。
何回か父と母の荷物や共同の荷物を動かした後、父の方から「テーブルも運んでしまおう!」と提案してくれた。
まさかのテーブル移動で、しかも天気も味方してくれ、ものすごい小雨の時にdoor to door状態でほぼ雨に当たることなく移動させることができた。
そしてかなり大きなテーブルだから、他の荷物の邪魔にならないようすぐに私が使う予定の部屋へ運び込まれた。
そう、一度はあきらめたテーブルがまさかの形で一番に部屋に入ることとなった。
あぁやっぱりこのテーブルは一生モノなんだとわかった。
2010年の春、私は社宅を出て1人暮らしを始めた。
いつまで名古屋に住むかわからなかった私にとって、荷物は最小限と決めていた。
家電に関しては、中古の冷蔵庫と新品の洗濯機と電子レンジを買ったのみで他には何も買わなかった。
引っ越しのキャンペーンか何かで、デジタルテレビ(しかも当時にしたら最新型のもの)をもらえることになったけれど、私はそれをそっくりそのまま妹に譲った。
私にはいらないと思ったし、テレビを置く=テレビ台が必要=大型家具があると簡単に名古屋から動けない=それは困る、という図式がすぐに頭の中に浮かんだから、だからテレビを妹がもらってくれる方が私にとってはありがたかった。
だから配送先は名古屋の私の家じゃなく、東京の妹の家にしてもらったほど。
丁度デジタル放送に切り替わるタイミングの時で、新しいテレビの購入に迫られていた妹は大層喜んでくれ、そして7年経過した今も妹宅で現役でバリバリ活躍している。
そのぐらい物を最小限にした私が、唯一テーブルだけは購入した。
テレビ台は引っ越しの時に邪魔になると考えるのに、テーブルだけは違った。
自分のbuddy的な、自分の一部のような感じで、どうしても欲しかった。
当時朝は7時頃家を出て帰ってくるのは日付変更線の少し前、下手したら翌日になってから、そして週1の日曜日の休みもままならないような生活を送っていた(←超ブラック企業)。
そんな中で家に帰ってきたら見てホッとする、あぁ自分の居場所に帰ってこれたんだと実感できるものとして、私の中ではテーブル以外のものは考えられなかった。
だから一生使うつもりで、テーブルを探し始めた。
たしか1000点近くはネットに張り付いてひたすら探したかと思う。
そこで1点物のテーブルを1からオーダーメイドで作ってくれるショップを見つけた。
普通そういうオーダーメイドの店、しかも1枚板を選ぶところからのオーダーは、どんなに安くても10万円近い値段だったけれど、なぜかそのお店は大工さんが1から作るのに3万円ぐらいでものすごい破格値だった。
しかも大きさも全部自分好みにできて、そのために私はメジャーを持ってニトリに大きさや高さを測りに行った。
何ならニトリの売り場で、実際にラグも何も敷いていない床に座ってテーブルの高さをいくつも見て回り、一番しっくりきた高さのテーブルに出逢った時、その高さをメジャーで測って、それから実際のテーブルのオーダーを出した。
オーダーを出した後、その大きさに見合うとても大きな1枚板が入って、オーダーより大きめの仕上がりになりますが良いですか?とお店から連絡がきたほどだった。
お店のオーナーさんいわく、その大きさの一枚板は滅多に入らないから、オーダーの大きさに合わせて切るよりもそのままを生かした方が良いというような話もしてくれた。
私は大きい方が良かったから2つ返事でその大きさでお願いした。
そのテーブルで書き物をしたり人とごはんを囲んだり裁縫をしたり本を読んだり…そんな思いを馳せながら買ったものだった。
だから名古屋から新潟に戻ってくる時も、それこそ運送会社に問い合わせて実際に見積もりにも来てもらって運んでもらえるかどうかを見極めてもらって、それで新潟に送った。
絶対に自分と共に生きていくテーブルだから、他の何をお金で切り詰めることになっても、テーブルだけは絶対に譲れなかった。
今回の狭い仮住まいにも、テーブルを持って行くと言ったら両親から大反対された。
狭いのにどうするのかと言われた。
それでも私はこのテーブルだけは何が何でも手元に置いておきたいと訴え、そしてその願いを聞き入れてもらえた。
そして今回も最初に新しい部屋に入ることとなったテーブルだった。
そういう意味で、今日無事にテーブルが運び込まれたのを確認できたらホッとした。
そして私の中で新しいルールをその場で決めた。
実際に自分の荷物を運んでみて、自分が把握していた以上に多いことがわかった。
そこで私は、部屋に入れる荷物は最小限、それももう一生付き合う予定のものやこれから数年は使うことが予想できるもの、ということに決めた。
先に運び込んでしまうともう後戻りができなさそうと思い、私は絶対に使うとわかるものは部屋に入れたけれど、それ以外はすべて廊下で待機させることにした。
1日1つずつ荷物を確認して、中身を吟味して、必要なら手元に残す、不要とかときめかなかったら手放す、そうすることにした。
そしてその作業は絶対に自分のこれからの生き方のヒントになるということも確信した。
きれいな家だし、人生で初めての新築の空間だし、これからどんな風にも色づけできることはわかる。
もちろん住む間はとことんその素敵な空間を楽しむつもりでいる。
でも、もうそこは私の家ではないし、ここに長く住むこともないって最初から感覚であった。
だから荷物は増やさないし、むしろこれからさらなる断捨離を決行する。
もう極少の荷物にする。
ちなみに私がテーブルの次に部屋に運び込んだのは、これまたある意味偶然ある意味必然だったけれど、自分の10数年分の記録だけを集めた段ボールだった。
そこには私の歴史が詰まっている。
どういうものが入っているのかも大体言える。
9割は私の書いたもの作ったもの。
残りの1割は人から贈られた一生モノのプレゼント。
これだけで自分が何を大事にしているのかがよくわかる。
「唯一無二」とか「世界で1つ」という価値観が私の中ではとても大切で、そういうものだけが基本的に手元に残っている。
自分の持ち物の整理は、今の自分をものすごくクリアにしてくれるだろうし、未来の自分へのヒントとして自分にプレゼントできるものが出てくると思う。
そんなことを感じた引っ越しだった。
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