今の車が私の元へやってきたのは2016年の6月だった。
具体的に何キロ走行済みかは覚えていないけれど、65000キロ前後だったことは間違いない。
私は試乗もせず、ただ一度販売店で外見だけを1分ほど見て、それで決めた。
その決断は、「しばらく新潟にいなきゃいけないんだ」という体を縛るもののように見えて、車を前にどんよりとした気分になった。
ますます自分の人生の向かっている先が混沌として、やりたくないことはいくらでも言えてもやりたいことや向かいたい方向がさっぱりわからず、これでいいんだろうか?と何度自問自答をしたかわからない。
とりあえず仕事を始めて、そして日常的に車を運転する生活を実に10年ぶりに再開した。
10年ぶりの運転はいくら軽でも怖ろしく、私は最初に運転した時に時速30kmでも完全におののいていた。
ちょっとずつ運転にも生活にも慣れてきた頃、車のメーターを見て、「77777キロになる時は私はどんな毎日を送っているんだろう?」とちょっとだけ楽しみになった。
12000キロ程先ということは1年位先だろうなぁと思い、それはその時のお楽しみ♪と思って、小さな楽しみとして持っていた。
今年の夏、そろそろ77777キロが見えそうというところに来た。
その頃、1年前には全く想像もしていなかったことが人生に舞い込んできていた。
まさに77777という数字に相応しいしあわせな出来事に包まれていた。
結局夏の間には77777キロには達することなく、9月25日の夜に77777キロに達した。
その時、しあわせと同じくらい大きなもしくはそれ以上の悲しみのカウントダウンが始まっていた。
今気付いたら、その日から今日が丁度2ヶ月だ。
77777キロの未来は、やっぱりキラキラしてた。
ラッキーセブンと呼ばれるだけあって、本当にラッキー、運に恵まれていた。
一生のうち、そう何度も経験できない出逢いを私は得た。
悲しみや他の何かもすべて凌駕する、そういう域のものだった。
生きているからこそ得られた喜びや悲しみで、それは生きていなければ経験できない極上のものだと感じている。
出逢えて本当に良かった、その一言に尽きる。
そして何よりもその少し前から確実に人生の流れが変わった。
生きることの喜びとか、人生でやりたいこととか、そういうものがまた少しずつ自分の内側から湧いて出てきた。
それはとっても大きなことではなくて、例えば今こうして書き物をしていても楽しい。
朝出勤したら手にお気に入りのハンドクリームを塗るというだけで、私はそういうことを自分で自分にしていることに酔いしれる。
私はこの年になるまで日常的にハンドクリームを自分の手に塗り込むなんていうことをしてこなかったから、だからそういういわゆる女子力と呼ばれるような行為を自ら喜んでやっている姿に感動する。
今は自分の名前の意味を調べることに余念がない。
調べる時間はあっという間でやっていて楽しい。
なんとなく、そういう小さな1つ1つのことが先々の何かに繋がっていくんだろうなぁと思っている。
心が完全にしおれてしまった時期に今の車はやってきて、その車は私を縛ってしまうと思っていた。
そんなことはなかった。
この車は、私を必要な場所へ連れて行ってくれた。
この車なくしては、私はこの1年半で手にしたほとんどのものを手にすることはなかった。
そして車がなければ、私は出逢いの場へと行くことは選ばなかった。
車なくしては行けない場所だったから。
次は88888キロが大きな通過点になる。
88888キロに至るまでの道もそしてその瞬間も、どんな未来になるのかそれを楽しみにしている自分がいる。
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