「ぶっしー、すごい良い絵だったから、写真撮っといたで」
そう言いながら私の仕事を手伝ってくれた友達が私のデジカメを返してきた。
その日私は、当時の仕事の最後の一大イベント、チャリティバザーを終えた。
友達が撮ってくれた写真というのは、私に背中を向ける小さな男の子とその子と同じ向きで同じようにしゃがみこんで話しかける私だった。
友達は遠くから撮影していたから、できる限り拡大してその写真を撮ってくれていた。
その小さな男の子の名前はアルヘニ。
8歳か9歳だった。
当時私はひょんなことから、スペイン語の読み書きの教室をすることになった。
まさか私は自分がそんなことをすることになるとは思ってもみなかった。
当たり前だけど、スペイン語は第二言語どころか第三言語のようなもので、そんな言語の読み書きを教える知識なんてこれっぽっちもなかった。
あると言えば、自分もゼロからの学びだったから、その学び途中のプロセスを知っているぐらい。
色々すったもんだがありながらそうなってしまった以上は仕方ない。
教育や言語教育のプロたちにあれこれ教えをもらって、とにかく何が何だかわからないままに始まったスペイン語の読み書きの教室だった。
そこにやってきたのがアルヘニだった。
1年数か月のプログラムで、総勢200名以上の人たちの読み書きのテストをしたし、そのうちの数十人は実際に教室にも来た。
その中でもアルヘニは本当に読み書きができなかった。
そして勉強することがとても嫌いだということは見ていてよくわかった。
最初の数ヶ月、アルヘニの笑顔なんて見たことなかった気がする。
心底面白くないという顔を毎回されたし、時々机の下に隠れたりしてとにかく勉強から逃げようと必死だったこともあった。
1人また1人と来なくなるにも関わらず(これは「継続性」なんていうことを持たない国民性ゆえ)、数少ない継続して教室に通い続けた人たちの1人がアルヘニだった。
私はずっとずっと不思議だった。
何でアルヘニが通い続けるのか。
そしてアルヘニは、もう1人別の大人の女性と並んで、たった2人しかいなかった宿題を毎回やってくるうちの1人だった。
ある時その理由が判明した。
アルヘニの送迎はいつもいくつか年の離れたお兄ちゃんがしてくれていた。
ある日お兄ちゃんの都合がつかなかったのかお母さんがやってきた。
そのアルヘニのお母さんというのが、いわゆる肝っ玉母ちゃんという感じで、芸能人でたとえるなら北斗晶みたいな感じだろうか。
アルヘニがどんなに渋ろうとどんなに楽しくないと感じていようと、「とにかく行け!!」と有無を言わせずアルヘニを行かせるお母さんだった。
宿題もその延長戦だろうと思う。
このお母さんを前に「やった」としらを通せるはずもなければ、「やりたくない」なんて当然言えないだろう。
だからアルヘニはひたすら通い続けていた。
何ヶ月か経った頃、アルヘニはかなり読み書きができるようになった。
自分の名前すらどうしてそういう綴りになるのか理解できていなかったのに、ある時から飛躍的に伸びだした。
アルヘニが来る時間は、もう他の誰も来なくなっていたから、私とまるっきりのマンツーマンになっていた。
アルヘニは笑うようになったし、あんなに嫌がっていた勉強を自分が納得するまで「もう1回!」と言って読みなり書きなりをやり続けた。
最後は、アルヘニは全ての単語を読み書きできるようにまでなった。
時々まちがいはあるものの、あの全く読み書きができなかった出会った頃に比べたら、もう雲泥の差だった。
そしてアルヘニが読み書きをマスターするタイミングで、私の日本帰国も迫っていた。
アルヘニには予め伝えていた。
いつが最後のレッスンで、いつがレッスンではないけれど同じ敷地内でチャリティーバザーをする日で、そしていつがアルヘニの教室の修了式になるかを。
チャリティーバザーの日は、ラストの1つ前のラストの日だということを、あの小さな体で一生懸命感じ取っていた。
バザーの日、なかなかアルヘニ家族は姿を現さなかった。
細かいことは忘れたけれど、お母さんたちは先に一度バザーを見るためにやってきたと思う。
その時アルヘニの姿はなかった。
それこそ何百人単位の人がごったがえしていたから、アルヘニのお母さんたちにあいさつしたのも一瞬だったかと思う。
バザーも終焉に近付いた頃、お母さんが電話をくれた。
「アルヘニに行こう、フミコに会えるから行こう!って何度も言ってるんだけどね。アルヘニがどうしても行きたくないって言い張るのよ。フミコに会えなくなるのが寂しいから、だから行かないって。でも何とかして連れて行くから待っててね」
こんな内容だったかと思う。
その電話の後、バザーも終わって後片付けを始めた頃、お母さんと妹とアルヘニがやってきた。
お母さんと妹はいつも通りフレンドリーだったけれど、アルヘニは私の顔を見るなり何メートルも離れたすみっこに行って私に思いっきり背中を向けた。
お母さんたちと一通りあいさつを交わした後、私は私に背中を向けてしゃがみこんでうつむいているアルヘニのすぐ斜め後ろに行って、同じ向きで私もしゃがみこんでアルヘニに話しかけた。
そこでどんな会話をアルヘニと交わしたかは覚えていない。
でもそれは、お互いに今生で会えるのは今のこの時だけで、確実にサヨナラが迫っていること、それを知っている者同士のやりとりだったことは間違いない。
アルヘニは私よりもうんと私との最後を意識していて、それを小さな体の全身を使って悲しんでいた。
アルヘニの背中は色んなことを伝えていた。
だから、バザーの手伝いに来てくれてた友達が遠くから何かを感じ取って、その写真を撮ってくれたんだと思う。
友達が写真を撮ってくれたのもあるけれど、アルヘニとの最後は、最後の修了式よりもそのバザーでのやりとりの方が今でも色濃く記憶に残っている。
最後にアルヘニのお母さんが
「アルヘニ、ここまで読み書きできるようになったおかげで、来学期からもっとレベルの高い学校に編入できることになったのよ!」
と教えてくれた。
(編入システムもあれば、小1から留年システムもある国だった)
たしかに読み書きできるようになってアルヘニの世界は広がったと思う。
もちろんそういうのを目指しての読み書きの教室の出発だったことも本当。
だけど、それ以上にアルヘニという小さな男の子とやりとりする全てのことに大きな意味があったと思う。
読み書きの教室は手段とかやりとりする場所でしかなく、本当の目的はアルヘニと時間を共にすることだったと思う。
このアルヘニとの最後のやりとり、アルヘニが私に思いっきり背中を向けていたことはもうずっと忘れていたけれど、突然別の人の同じ行為(根底にある気持ちはアルヘニとは違うと思う)を思い出した時に、アルヘニの背中が出てきた。
あの小さな背中が伝えてくれたことは、あれから何年も経って私に今度は癒しをもたらした。
2人が出会って2人しか知らないものを積み重ねた先に、あの背中はあった。
あの背中に今の私が救われてる。
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