母方の伯父が亡くなった電話がきたのは5時間ほど前。
何ヶ月振りかに父母私の3人で出かけ、父は先に帰り私と母は母の買物の途中だった。
第一報は、今朝までピンピンしていたのに昼間いっこうに戻らず、叔父の奥さんであるおばさんが見に行ったら倒れていた、そしてそのまま帰らぬ人となったということだった。
母は帰りの車の中で
「早すぎる死だ。あと10年は生きると思っていたのに」
と何度もため息交じりに言っていた。
たしかに伯父は2年前がんを患い手術をしている。
術後良好で、再発もなくここまできていたとのこと。
それがまさかの急死で、母はじめ伯父のきょうだいたちはみんなびっくりしただろう。
父と母は母の実家である伯父の家へ夜7時をまわってから出発した。
先ほど母より電話が来て、事の真相を知った。
伯父の娘の1人、私にしたらいとこは今日仕事で、伯父夫婦+1時間ほど離れたところに住む母の妹(叔母)に自分の子ども2人を実家に預けた。
子どもは4歳と2歳だったかと思う。
伯父にしてみたら可愛い可愛い孫娘の2人だ。
その孫たちに柿を食べたいかと聞き、本人たちが食べたいと言ったから、家の畑にある柿の木に柿をもぎに行ったらしい。
そうしたら、柿を採っている最中に柿の枝が肺にあたる部分に刺さり、それで息が出来なくなってそのまま帰らぬ人となった、というのが事の真相らしい。
家での突然死だから警察が駆けつけ、検死をしたところそういう所見が出たらしい。
あまりにも急だし、ある意味とても不運としか言いようがない命の最後だったかもしれないけれど、私はそれを聞いて「あぁ良い死に方だなぁ」と率直に思った。
命の最後の瞬間、大好きな孫のために今が旬のおいしい柿を食べさせようと思って柿を採りに行って、そこで不慮の事故で亡くなった。
自分にとってかけがえのない誰かのために何かをしてあげたくて、それを実際に行動に移している間にボタンの掛け違いみたいなことが起きてで命が尽きてしまった。
人の死に対して「憧れる」なんて言ったら怒られそうだけど、すごく良い人生の締め方だなぁと思う。
そしてそんな風に自分も最後の瞬間、大切な誰かのために何かをしていたら亡くなったなんていう終わり方ができたら最高だろうなぁと思う。
そして、その話を聞いて、私はその伯父がとても好きになった。
死んでから好きになるというのもおかしな話だけれど、本当に好きになった。
時間を3時間前に戻すとこうだ。
当初私はこの伯父の死をもっと別の形の文章として残そうと思った。
はっきり言えば、この伯父と私は半永久的に交わらないんじゃないかというぐらいに遠い存在だった。
母の実家は、昔の男尊女卑が今でも根強く残っているような家系で、家長を立てるとか男を立てるとか、女はその後ろで男たちを見守り支えるのが当たり前とか、そんな風な流れが今でも普通にある。
だから母方の祖父はじめその跡を継いだ伯父もそんな風だったから、子どもの頃より近寄りがたく言葉なんてほとんど交わしたことがなかった。
時代の流れと共に随分と柔らかくはなってきたけれど、もう長年そういう状態だったから、とにかく大人になった今もどう会話を交わしていいのか皆目見当のつかない相手だった。
ましてや子どもの頃は年に2回会うか会わないか、大人になってからは2~3年に一度の顔合わせで、さらには会えばその微妙な距離感が常にあり、だから血縁関係があるにも関わらず、ものすごく遠くの親戚みたいな感じだった。
遠くと言うのは地理的距離だけじゃなく、心理的距離も含めてものすごく遠い存在だった。
だからその伯父と何か自分の話などお互いにしたことが一度もない。
私は伯父の生き様も価値観も好物や苦手なものも、何一つ知らない。
ぶっちゃけ、亡くなったと聞いても悲しみとか喪失感みたいなのも湧かず、葬式に形だけ参列するのかと思うと、何だか味気ないなぁと思っていた。
ところがここにきて、伯父の最後の終わり方を聞いて、伯父のことが一気に好きになった。
あんなに堅苦しい家で育った伯父も、最後の最後は人の子だったというのがよく知れた。
そして言葉数も少ない上仏頂面とは言わなくても表情もいつも硬い感じだった伯父が、実は孫を前にすると別人のような優しさを発揮していたんだと知れて、本当に良かった。
だから今、3時間前に想像していた文章とは全く別の視点からこの文章を書いている。
あさってとその次の日が葬式とかそれに付随するやりとりになるけれど、本当に心から伯父を偲んでその場にいられると思うと、そういう風になれて良かったと心底思う。
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