久しぶりに職務経歴書なるものを作った。
もちろん自主的にやるはずもなく、必要に迫られて作ったというのが流れ。
作り終わった後、私はそれを保存した。
保存する理由は単純で、もう一度作る必要性が将来あるとした時用の備忘録。
珍しく将来の備えのようなことをした。
普段ならそんなことまずしない。
さて、その職務経歴書を作るにあたり、普段ひとまとめにしている書類袋を引っ張り出した。
ここ数年の職務経歴に関しては、当時の雇用通知書やらそうした関連の書類がないと書けない。
勤務先の住所がわからないとかならまだわかるけれど、前株か後株か、下手すると派遣で行った
会社の社名も曖昧だったりする。
いくつもの会社の名前を入力した後、最後に社会人最初の勤務先を記入した。
単純な作業だから、チャゲアスの『太陽と埃の中で』をyoutubeで流しながら書いていた。
うっと胸に迫るものがあった。
これまでの職歴の中で一番長く勤めたこともあったけれど、どうしてもどうしても就きたくてやっと
採用してもらえたところだけあって、最後の日は今でも忘れない。
失恋でもないのにあんなに人生の中で号泣したことは他にはそうそうない。
あの場所を去るということが、それまで細く長く続いた人間関係が、いきなり終わりになることに
ものすごく胸を締め付けられた。
わたしが担当した男の子はわたし以上に号泣していた。
「生きる」ことがその仕事といつも直結していた。
一切ごまかしの効かない場所で、とにかく毎日ががちんこ勝負だった。
その後もそういう仕事に携わったものの、そこまでのがちんこではなかったと感じる。
そうして今、自分の向かう先がどこかもわからず、とりあえずの道標とその道を支えるための仕事
を選んでいる。
はっきり言って、仕事にはとんと興味がない。
でも食べないわけにもいかないから、とりあえず何かしらはその都度で選ぶ。
そういう生き方を選んでいるのは自分だし、今どうしても優先させることを考えたらそれも仕方ない
と一生懸命割り切ろうとしている自分がいる。
でも本当は、1日の大半を費やす仕事を条件で選ぶことにものすごく抵抗しているし、できるなら
そういう選び方をしたくない気持ちもある。
もちろん半永久的にするわけではないから、その辺りは自分で頭では理解しているけれど気持ち
はまた別のところにある。
そんなこんなの作業をしながら、自分がいつの間にかつまらない大人になったなぁと感じた。
割り切りとか条件とかじゃなく、もっと熱く何かを選ぶ自分でありたいと真剣に思った。
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