今このブログを珈琲を飲みながら書いている。
珈琲から立ち上る湯気に感動してしまう季節に突入した。
気付けば今日から11月。
昨日からぐっと冷え込んで、温かい食べ物が恋しくなり、水で手洗いするのが辛くなってきた。
食べ物から立ち上がる湯気も好きだけど、この珈琲から立ち上る湯気は食べ物の時とは違った
良さがある。
見ていて優雅な気持ちになれる。
食べ物からの湯気に食欲がそそられたり懐かしさを憶えたりすることはあっても、「優雅だなぁ」
なんて絶対に思わない。
ところが、珈琲の湯気は、それを見ているだけで何となく優雅でリッチな気分になれる。
湯気から伝わる温かさにほっこりしているのもある。
秋と冬限定の風物詩だなぁと思う。
いよいよ寒くなってきたから、膝掛けブランケットもつい先程クローゼットの天井部分から出した。
「深紅」という言葉が似合うようなワインレッドに近い赤いブランケット。
今から多分12年前に母がどこかからもらってきて、それをそのまま譲り受けた。
最初の5年半は、ずっと車の中に置かれていた。
運転用の膝掛けとして毎年大活躍してくれていた。
途中2年間は亜熱帯の地域に住み、このブランケットは実家のたんすにしまわれたままだった。
経緯は忘れたけれど、名古屋に持っていこうと自分で実家から今の場所へ持ち運んだのだろう。
今はもっぱら家専用の膝掛けブランケットとして毎年冬になると活躍している。
今年の春、衣替えの時期にこのブランケットを手放すかどうかずいぶんと迷った。
もう1枚別のチェック柄のブランケットは、たしか春先に思い切って処分したかと思う。
この深紅のブランケットは何となく手元に残そうと思って残したのだろう。
今考えると、このブランケットはこれから傷まない限りはずっと手元に置いておくような気がする。
干支が1周してもまだわたしの手元にあるという、稀少な1枚だ。
色も好きだし柄もないからデザインに飽きることなく、これからもずっと使い続けていくだろう。
毎年同じものを使い続ける、好きでそれを使い続ける、そういう楽しさを覚えたのは30代に入って
からだ。
たくさんの物に囲まれているよりも、自分の好きなものをずっとリピートして使っていくことの方が
粋だなと思うようになったのも30代に入ってからだ。
そういうことに感動出来るようになったから、先述の珈琲の湯気にも優雅な気持ちを抱くのだと
思う。
年を重ねないと絶対にわからないものというのがあって、そういうものを1つまた1つと知っていく、
このプロセスが楽しくてたまらない。
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