今年はこれまでにない位、夕焼け空を観察できる日が多い。
数年前、塾の仕事をしていた頃、夕焼け空を見れるというのがどれだけ贅沢に感じたことか。
毎日窓の上方10cmほどのところにぽっかりと見える小さな夕焼け空を見ては、いつかはこれを
好きなだけじっくりと眺めたいと何度も願っていた当時。
夕方から夜にかけてがメインの時間となる仕事になってしまったことを何度も悔やんだ。
今年はとにかく夕暮れの空の移り変わりに魅せられて、その時間になるとせっせせっせと外に足を
運んでいる。
外は暑いには暑いけれども、6時台後半~7時にかけては幾分涼しくなり、そして風が吹く。
夕焼けを観察するにはそこまで体力も消耗しない。
でも、なぜだろう。
夏の夕焼けは、春や秋、冬にない寂しさがある。
秋は「冬に向かっている」ということがとても鮮明だから、別に夕暮れ時だからといって寂しさを
そこまで感じない。
日に日に短くなる太陽の長さは惜しいけれども、どこかで「秋から冬」への覚悟をしてる気がする。
冬は反対に、そろそろ春がやってくるという愉しみがある。
そして冬の夕暮れ時の空気が張り詰めた感じは個人的に粋だと思ってる。
春は、これから「夏」に向かうという希望のような明るさを感じる。
だから夕暮れすらもなんだか陽気で心躍る感じがある。
夏はそういうものがない。
改めてじっくりと季節を見ていると、日本の夏はあっという間に終わる。
たしかに今年の夏は異常な暑さが何日も続いているけれども、それだって1ヶ月位がいいところ。
お盆を過ぎれば一気に秋の気配が忍び寄る。
特に夕方以降はその気色が強くなる。
蝉時雨が始まったと思うのが梅雨明けの小学校の夏休み開始の時期と重なる。
それから1ヶ月も経たぬうちに、とんぼがちらほら出てきて夜には鈴虫が登場する。
それは夏の終わりをいつも静かに告げている風で、どこか寂しい。
日中は暑さのおかげで夏特有の寂しさも姿を紛らわしているけれども、夕暮れあたりから徐々に
その姿は大きくなってくる。
夕焼けが毎日きれいなグラデーションを奏でているけれども、いつも儚さが一緒に佇んでいる。
この夏に、夏の夕暮れに新たな意味が加わったら、寂しさ以外の意味が加わったらいいなぁと
いつもひっそり願っている。
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