今年のお盆は、わたしがこれまで試して美味しかった乾物の食材を母と妹ふたりに持って行こうと
けっこう前から決めていた。
家に帰るだけだから手土産なんてなくても大丈夫なんだけど、美味しかったものはぜひともみんな
にも教えたいし広めたい。
ふと、子どもの頃の母と叔母たちのやりとりを思い出した。
母の実家は我が家から120kmほど離れたものすごい田舎にある。
隣りの家に行くのに50mは離れているような土地だ。
母は7人きょうだいで、上から2番目、女4人の中では長女にあたる。
下3人、Y、T、Mの順で、Yは大阪、Tは軽度の知的障害がありグループホーム入所、Mは
母の実家から1時間も離れていないところに住んでいる。
母、Y、Mの3人でいつも物々交換をしていた。
Tも帰省しているけれども、入所ホームに大量の生の食べ物はいらないから、自分が使えるもの
だけもらう方式で参加していた。
長兄にあたる一家の主へはきちんとのしを貼り、お中元お歳暮をいくつも持ちこんでいた。
大人になってからわかったことだけれども、1つではなくあんなにいくつもお中元お歳暮を持ちこむ
というのは、あの田舎特有の文化だと思う。
8年前、祖母のお葬式に参列した際、なんと7日間ほぼ通しでなにがしかの式があったのだから、
そんなことを今のこの時代でするなんていうのは、文化遺産として登録できそうな位だ。
話は戻って、お盆の母たち姉妹のやりとりだ。
母はわたしたちが住んでいる市の名産品をいつも大量に購入して配っていた。
それはおそらく今も変わらない。
Yは大阪でショッピングセンターに長く勤めているけれども、その兼ね合いで安く手に入る食材や
下着をいつもふるまってくれていた。
Mは、家でちょっとした畑をしていて、そこで採れた大量の夏野菜をいつも持ちこんでくれていた。
それらを台所でわいわいがやがや喋りながら分けていた光景が今も脳裏に残っている。
母たちにとっての実家には、きちんとしたものにのしを付けて渡すのが流儀ではあったけれども、
姉妹間ではそんな固いことはせず、互いに持ち寄れるものを持ち寄り交換していた。
主婦でもある母たちにとっては、肩肘張らず普段使えるモノが一番ありがたいというのが互いに
わかっていた。
全て暗黙の了解で行われていた物々交換は、毎年お盆の風物詩のようなものだった。
ふと今年の自分の用意した手土産を見て、当時の母たちと同じことを自分もしようとしていること
に気付いた。
決して高価なものではないし、なんだったら買ったお店のナイロン袋からどんと裸で出すような
状態ではあるけれども、まちがいなく美味しくて普段のごはんに使える。
自分の親やきょうだい位、この位気を遣わないのはとても楽ちんだ。
子どもの頃、ぼけ~っと見ていた大人の物々交換。
今となっては、ああいう肩肘張らないやりとりを目の前で見ることができて本当に良かった。
もし母たち姉妹が互いにのしを貼ったお中元やお歳暮をやりとりしていたのなら、それこそ今の
わたしもそんな風になっていたかもしれない。
内と外を上手に使い分ける知恵は、大人になってからどれほど大切か身に染みてわかるように
なった。
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