2015年1月13日火曜日

小さなちいさな感覚

さかのぼること、3年前になるかと思う。

当時、人間関係において決断に迫られていた。

このまま関係を継続するか、断ち切る覚悟で距離を置くか。

立てつづけに2人ほどそういうことが続いた。

2人共、とってもお世話になり、さんざん迷惑もかけ、色んな話を聞いてもらい、

非常に良い関係に恵まれたと思っていた矢先でのことだった。

そんな決断を下さなければ・・・と感じたきっかけは、

一つは人生そのものの選択ともろかぶりだったし、

もう一つは消え入りそうなくらい、すごく小さなちいさなものだった。

うんと時間が経った今。

人生そのものの選択ともろかぶりだったきっかけの出来事を共有する方とは、

出来事の直後に、わたしは自分の思いや気持ちをそのまま伝え、

それからまた1から関係を立て直す、と言ったら大袈裟だけど、気付けば立ち直っていた。

なぜだろう・・・

あの時のわたしは「この人は関係を切る人じゃない」ときちんと自覚できたわけではなかったけど、

どこかで繋がっていたいと、もうどこでそんな風に感じたのかわからないぐらい、

すごく小さな気持ちだったけど、その気持ちが結局今日の関係に続いている。

当時は、怒りをはじめとし、ありとあらゆる感情が錯乱していたから、

もうこんな思いは二度といやだ、金輪際、絶対に関わりたくない、と頭では強く思っていた。

そんな気持ちの渦にはまっていたから、わたしはその人ともう一度関係を立て直した今なんて

想像すらできなかった。


もう1人の方は、そんな人生の選択もろかぶりなんていうようなことは全くなく、

むしろ大変な時期だった当時をいつも陰ながら応援して下さる方だった。

本当に本当によくしてもらっていた。

では、何が起こったのか・・・

すっごく小さなきっかけだった。

一度目は、第三者に伝える内容にしては、すっごく勇気のいる話をした時だった。

勘違いされないように端的に言うと、わたしはトラウマ的な幼少時の体験について語った。

自分が墓場まで持っていくような、そういうレベルの話だった。

でも、話した後、わたしが見たものは、自分の期待とは全く別物の相手の反応だった。

期待した自分も悪いかもしれない。

もしかしたら相手に余裕のない時だったのかもしれない。

理由は測り知れないけど、わたしがその時の反応でショックだったのは本当だった。

そして二度目がとどめとなるのだけど、二度目は言葉のちょっとした行き違いだった。

でもぽろっと出た言葉に、わたしは不信感を募らせた。

それまでの恩を100としたら1にも満たない、

それ位目をつぶりなさい、という小さなことだった気がした。

でも、わたしは悶々とし、小骨がのどにつっかえたみたいにずっと引っ掛かり、

結局そこから連絡を取ることを止め、もう関係は終わったと思っていた。

この度それ以来ぶりに再会する運びとなったのだけど、

再会した時に、あぁやっぱりあの小さな引っ掛かり、あれは自分にとって正しい感覚だったんだと

つくづく感じた。


何が正しくて間違ってる、なんていうものは人間関係だと白黒はっきりさせるのは難しい。

恩や情なんかも絡むから、余計と難しい。

でも、あのしっちゃかめっちゃかな時に感じた、それこそ小さなちいさな感覚で、

頭で考えているのとはまったくもって反対の小さな声を聞き取れたのは、もう奇跡に近かった。

後者の方との再会は、その小さな感覚が時を経て会ってみたら確信に変わっていた。

相手が変わったのか、わたしが変わったのかはわからない。

ただ少なくとも、過去に感じたあの小さなちいさな感覚は、わたしを守る最後の声だったと、

それを再開時にまざまざと見ることになった。

前者の方との関係立て直しプロセスの細かいところは忘れた。

見事に忘れた。

最初は多少ぎくしゃくしていたし、また途中ももっとぎくしゃくというか互いに距離感つかめずな

時期もあったけど、今はそれらのおかげでさらに深い関係になれたように思う。

相手は同性だから深い関係なんて書くとおかしいけど、関係が成長する不思議な方だ。


小さなちいさな感覚。

頭で考えただけでは出せないような妙な感覚。

義理や人情を飛び越え、非常識な感じも否めない、とても理屈では説明できないもの。

そういうものを大事にして大丈夫なんだとわかった。

もし、自分ひとりだけでも、YESの時はYESだし、NOの時はNOだ。

他の誰かがわたしに取って代わってその微細なところを感知してくれるわけじゃないんだから、

最後は自分のその意味不明な感覚でいっていいんだと思う。

1 件のコメント:

  1. 最近、特に仕事で何か決めなきゃいけない場面で、頭の中がガヤガヤと
    うるさすぎて(たぶんよけいな情報を取り込みすぎ)、
    「なんとか理屈で説明したい、自分を納得させたい!」っていう力技に
    走りがちなワタクシ・・・(^^;)
    でも、今ふと振り返ってみると、これまで何か大切な選択をする時には
    「ちいさな感覚」がいつもちゃんと働いてくれていたような気がする。
    見逃しそうな、本当に小さくて一瞬の感覚が、自分を守ってくれるって
    すごいことだよね!
    おなかの辺りに(頭の中でなくて)ふっと現れる「小さな感覚」に気づける自分、
    なるべくそういうコンディションでいられたらなぁと思う (^^)

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